(151) Ornette Coleman(その4)

(1)「大騒ぎになると思わなかった」2011.3.10 22:31

 民主党土肥隆一衆院議員が日本政府の竹島領有権放棄を訴える共同宣言に署名した問題について東京・永田町の衆院議員会館で行った記者会見(冒頭発言)の詳報は以下の通り。


 「昨日から報道されているように2月27日に韓国に参り、3・1独立宣言の、韓国では大変意味のある、意義深い、全国民が自分たちの民族の独立と平和とを願う民族として、原点として考えている『3・1集会』があり、そこへ私が招かれて参加した。その際、共同宣言を発しようということになり、それが問題になったということだ。それを本日、説明させていただきたい」 


 「2月27日の日曜日だったが、私は民主党の国対(国会対策委員会)の許可を得て、この3・1集会に参加させていただいた。その際に、日韓キリスト教議員連盟というのがあり、クリスチャンの国会議員が双方にいて、日本は7人か8人ぐらいしかおりませんが、韓国は100人から115人がいて、大変活発な活動をされている。その3・1集会に双方の議員連盟、日韓クリスチャン議員連盟も参加したということだ。その際に、共同宣言を発しようということになり、今回の問題を生じさせたということだ」


 「まったく私はこんなに大騒ぎになるとは思わず、これをもって心から国民の皆さん、あるいは関係者の皆さんにおわびを申しあげたいと思う次第だ。共同宣言に盛られた中で、竹島の領有権の問題に言及しておりまして、私がその共同宣言の中で竹島に関する文面を十分に精査することなく、推移してしまった。その結果、今日、私がこのような記者会見をすることになったわけだ」


「まず、冒頭、きっちりと申しあげておかなくてはならないが、竹島は日本の固有の領土だ。それは一歩たりとも譲ることのない。歴史的にも、これまでの経過からみても日本の固有の領土であることは間違いない。私は国土交通委員のときに、竹島の周りを海上保安庁の巡視船でぐるっと回った。そして、『なるほど、これが竹島だ。これはわが国の領土である』ときっちりと確認をしたわけだ。したがって、今、菅内閣が言っている『竹島は日本の固有の領土である』ということについて、一つも反論することはない。同一の一致した意見をもっていることをまず申しあげたい」


 「今回の問題の経過だが、2月27日に国対の許可を得て、日曜日だったが、日帰りでこの『3・1独立宣言記念集会』に行ったわけだ。この招待をしたのは韓国にあるかなり大きな教会だが、聖エデン教会の招きで私は日韓キリスト教議員連盟の代表として、そして韓国からも3、4人が参加していたと思う。日韓キリスト教議員連盟は任意の団体で、連盟といっても韓国サイド、日本サイドはそう厳密な組織化をしているわけではない。日本には7、8人いるクリスチャン議員たちと交流をしながら、こういうことがあったと報告をし、相互に1年に1、2度、交流し、クリスチャンの国会議員としての交流をしてきたわけだ。だから、私としては国、国益を背負って行動したという思いよりは、キリスト者あるいは牧師として、同時に衆院議員としてということは間違いないが、交流をしている。国家を背負った交流をしたつもりは、そういう意識はあまりなかったということが実は今回の問題を引き起こしたのではないかと心配している」


「なぜ日韓がキリスト教議員連盟をつくらなければならないのかを若干、申しあげる。韓国と日本の問題は私の表現を入れればほとんど解決の道がない、あるいは一致をみない、合意をみないというところに問題があるわけだ。そこで、せっかくクリスチャンでだから、クリスチャンマインドで問題の本質を解決していこうということになり、11年前に日韓キリスト教議員連盟を作った。会費もないし、組織化もしていないゆるい交流の場だ。韓国も今年に入って初めて法人化をしたようだが、日本はそういう状況ではない。その歩みは11年間にわたった。本当に、大変な日韓関係で、これをどう解決していくかは非常に重大な問題だ、課題が大きい」


 「そうした中で私はなるべく韓国へまいり、韓国の皆さんの、戦後65年の歴史の中でもまだ重い課題を残しているから、そういう方々にお会いして、じっくり話を聞いてきた。たとえば、8月15日は大体1週間ぐらいソウルにおり、ソウルのいろんな行事を訪ねてきた。そして、この3・1は韓国の独立宣言の出発点だから、民族をあげて民族意識を高めるときだ。そういう意味では韓国の近代史の出発点だといってもいいわけだ。そういう交流の中から少しずつ相互理解や今後のあるべき姿に、どう立ち向かっていったらいいのかが徐々にわかってくるわけだ」


「だから、私はもっぱら、政治的なアクションというよりは、耳をそばだてて、一つひとつの戦後の残された課題を聞き取っていくという仕事をしてきたと思っている。だから、私は一切、大使館など政府の世話にもならず単独で行って、単独で皆さんと交流して、一定の成果というか一定の共通理解を得つつあるのが今日だ。そうした矢先にこうした問題がおきたわけだ」

(2)「宣言撤回を申し入れたが…」
2011.3.10 23:18

 「私はどうしてもみなさんに申しあげなければならない。年齢を申しあげると1939年、戦前の生まれだ。そしてなんとソウル生まれ。昔、京城といったが、その生まれだ。父親はなんと朝鮮総督府。皆さん、お若い方、どうぞ辞書でもひいてみてください。朝鮮全土を監督するいわば植民地政府だ。朝鮮総督府は軍人が総督府になったわけだ。海軍と陸軍が交代で総督になり、言ってみれば植民地は軍事政権で、軍事政策に基づいて統治されてきたといってもいい。その総督府に勤めていたのが、わが父親で、もう死んだ。ほとんど、総督府時代の実情を私に語ってはくれなかった。口を固く閉ざしていた。戦後引き揚げてきたが、じつは終戦の直前、春だが、突然、万里の長城を越えて中国東北地方の『サンジャコウ』というところの旧満鉄病院の薬剤師として就職したわけだ。父親は薬剤師で、今のソウル大学の前身であるソウル薬学専門学校を出て、薬剤師になっていた。私の祖父も韓国で商売をしており、私、3代目の韓国生まれの韓国育ちということになるわけだ」


 「で、『サンジャコウ』に行って終戦だ。今度は孤児同然のような格好で、子ども3人、親2人、両親と日本に引き揚げてきた。で、6年間、朝鮮のトンデモン(東大門)におり、数カ月、トンデモン小学校の小学生(としての生活)を送った。それでもやっぱり、『この社会はこれでいいのかな』という漠たる不安をもっていた。たとえば、交番に韓国人、朝鮮人の警官がいて、韓国人の泥棒を捕まえては罰しているという姿をみるにつけ、学校は全部、日本語だから、当然のように日本語を使って、同じ1年生の子供がついうっかり朝鮮語を話すと、朝鮮人の先生がその子をぶんなぐる光景もみてきた」


「そういう複雑な植民地時代の生活を若干、経験している者として、韓国は私にとって重い、重ーい課題だ。本当は韓国に行きたくなかった。議員になって韓国だけは行くまい、と思っていたら、私の相手方で韓国のクリスチャン議員連盟の代表であるキム・ヨンジン議員がやってきた。彼は炭坑に強制連行された父親を持つ人だ。戦後、日本から韓国に帰って、そして生まれた男だ。日本の憎しみに満ちている議員だった」


 「私は一方で、植民地時代のシンボルみたいな生活だから、そこで2人が出会い、実にギクシャクしながら、お互いに自分の立場を披(ひ)瀝(れき)し合って和解した。そして『一緒に日韓問題に取り組んでいこう』という決意をして11年がたった。そういう生い立ちがあるから、私はいつも韓国に負い目を感じている。そして、韓国社会のために何か貢献しなければならない、特に、日本の政府、日本国民が韓国民に対して何をなすべきか、何をなさないでいるのかを常に考えてきた。3・1の集会も、本当にみんなこの日を祝う。その中で私だけはポツンといる。だけど、『背広では寂しいから』というので、このチョゴリ、男用の民族服を借りて、それを着て、3・1集会に出た」


 「それはまさに韓国の独立を祝う会だから、それはそれでいいが、そこにキム・ヨンジンさんが急いでつくってきた共同宣言があり、ご丁寧に日本語の訳も付けて、そこに、私の名前とキム・ヨンジンの名前と、もう一人、ファン・ウヨンというハンナラ党の国会議員だが、キム・ヨンジン民主党だが、名前がもう既に印刷された宣言文がその3・1のお祝いをしている聖エデン教会のプログラムの最終段階で披瀝された。で、これを通したいというわけで、私は長年、キム・ヨンジン氏と付き合っているから、共同宣言が読み上げられたとき、『オヤッ』と思ったのは事実だ。だが、会も進行しており、かなり3時間半ぐらいの会で、5000人ぐらいの教会の人が集まっているから、そこで『待ってくれ』とか『これは問題だ』ということはやめた。そこから、問題が発した」


「共同宣言はかなり過激なものだ。私に言わせれば『韓国人はこれくらい書くな』とは思うが、では、われわれ日本人側はどうしたらいいかということは、やはり相当時間をかけて修正を求めなければならない。そういう時間がなかったことは正直に申しあげなければならない。それで、私の政治的責任が免れるとは毛頭思っておらず、この共同宣言が、韓国のマスコミに取材され日本へ伝わったということだ」


 「この点については『政治家として大変不注意だった』と。皆さんから『不見識だ』といわれても申し開きができない。実は韓国側のキム・ヨンジンに今日も電話で『この宣言文を撤回しないか。撤回してくれないか』という申し入れをしているが、返事はいただいていない。ただ、メッセージがきて、『土肥隆一よ、君がやってきたことは間違いないから、しっかりと国民の皆さんに説明をして、頑張りなさい』という手紙が届いている」


 「今回の問題に関して私がどう政治責任をとるかについては、すべての役職をご辞退申しあげたい。このように思っている。例をあげれば国会マターとしては政治倫理審査会会長、党の仕事としては常任幹事会議長を辞任させていただきたいと思う次第だ。いろいろと皆さんにご迷惑をかけ、大変、申し訳なかった。以上で、私のざっとした説明を終わる」

(3)「国益くぐり抜けて韓国と対話を」
2011.3.10 23:23

 −−竹島は『不法占拠されている』という認識か


 「まあ、不法占拠だろう。わが国固有の領土に黙って入ってきているということは不法占拠になる。間違いない」


 −−「国家を背負ったという意識がなかったのが今回の問題を引き起こした」と発言したが、であれば、本来であれば国家を背負うべき立場の議員の職を辞するべきではないか


 「見解の分かれるところだ。私はなお、韓国のために、これまでやってきた11年の経験の上で良き日韓関係が結ばれれば、それにまさる望みはないと思っているから」


 −−議員がとった行動が国益を損ねているという考えはまったくないのか


 「まあ、国益を損ねているというのも、これはまた抽象的な話だ。日本の国益という視点をもてば、あらゆる政治家は縛られてしまうわけだ。国益で全部縛られてしまう。そこを何とかくぐりぬけてですね、韓国側との対話を図りたいというのが私の望みで、日韓議連の役割だと思う次第だ」


−−共同宣言が発表されたときに『おかしい』と主張できなかったのはなぜか


 「その集会はキリスト教による集会だ。観衆は5000人。そのときに、気が付かなかったわけではない。だが、それを押しとどめるだけの時間もなかったし、見過ごしてしまった。それを日本国民の国益を損なった瞬間だといえば、そういう言い方もできるかもしれません。だけど、私はそこにおる環境、状況というのはそうではなかった」


 −−宣言文の撤回を求めたが、返事がない。今後も求め続けるのか?


 「一応、私が昨日、今日の段階で、『解決方法として、一つは双方で文章を撤回をする。もういっぺん作り直す』と申し入れている。その前にその宣言文、『声明』がきた。キム・ヨンジンと、ファン・ウヨが書いた『声明』がきたが、それは『頑張ってくれ』ということに尽きる。その先の撤回の問題は、話を申し入れているが、まだ回答は今日、得られていない」


 −−問題発覚後、菅直人首相や岡田克也民主党幹事長とはどのようなやり取りがあったか


 「菅首相とは残念ながら一度も話していない。ですから、電話を入れようかなとも思ったが、『これは私個人の問題で、あまり迷惑をかけたくない』と思った。しかし、今日も委員会で相当突っ込まれているようで、『もうちょっとちゃんと話をしたほうが良かったのかな』と思う。岡田幹事長とは『弱ったねぇ』ということで、今日の結論を相談して結論を出した次第だ。電話で1回、話しただけだ」


−−宣言文を事前に知れたら、どんな対応をしたか


 「それはもう、一つ一つ検証し議論して、宣言文に盛り込まれない分も表現もあるから、徹底して議論をしなければいけないと考えている。それをできなかった、やらなかったことについては深く反省をしている。この文はもう、私の名前も印刷されて、そして日本語の翻訳もつけて『バアッ』と示されたわけで、私は署名をしていない。そういう状況も申しあげておきたい。だから、私がなんというか、政治家としての不十分さを免れるとは思っていないが、何もかも用意して、そして最終版に出てきた」


 −−竹島問題は過敏に反応しやすい問題だ。署名すればこうした事態になるのに、あえて韓国側が宣言文を出してきたのはなぜと考えるか


 「今年で11年目だが、毎回、交流をしますと宣言文を作っている。そして、かなりのことを行っているが、これまで一度もマスコミに取り上げられたことはない。だから、そのへんが私の認識の甘いところだった。で、政治家だから当然、国益を考えて処理すべきだ。特に領土問題は。読み上げながら『アレッ』と思った。だけど、そこが韓国だし、日曜日でもあるし、マスコミも動いていないわけだから、そういう意味では、ちょっとうかつだった。もっとセンシティブに扱うべきだったとは思っている。これはいろんなところにご迷惑をかけて、島根県の方にもご迷惑をかけているわけで、おわびをする」

(4完)「だまし討ちではない。ある種『韓流』だ」
2011.3.10 23:25

 −−今回の件を受けて地元・神戸の反応はどうか。支持者にどう説明するか


 「まずは今日の記者会見をみていただく。それから、冒頭申しあげた私の説明などを参考にして、どういう方法が良いかはわからないが、相当な抗議がきている。どこから手を付ければいいのかわからないくらいだ。したがって、今、地元の事務所は閉めている。わが家も閉めている。私は『神戸に帰るな』といわれているわけで、国の機関から『帰らない方がいいよ』といわれている。地元にはきちっと説明をしなければいけない」


 「特に、県会議員の皆さん、僕の今日申しあげたような心情は分からない点があり、私がこうした物議を醸したことが自分の選挙に不利だと考えるかもしれない。これは私の韓国に対する長年の思いであり、こういう結果になったことはおわびするが、なるべく、よく説明して、影響のないように最大限の努力をしたい」


 −−党役職の辞任は岡田幹事長の了承を得たのか。兵庫県連の役職は辞めるか


 「県連は(辞任を)考えていない。これから岡田さんのところにあいさつに行く。そして、岡田幹事長の指示を受けて、最終決断、結論を出したい」


 −−これまで作られた宣言文で、竹島の領有権について署名したことはあるか


 「領土問題はないと思う。それは議論してやるから。時間をかけて。詰めてやるから。合意できないところは発表しないから。領土問題を扱ったという記憶はない」


 −−書面には名前が書いてあるものに、さらにサインをしたのか


 「実際にはサインしていない」


 −−名前が書いてあるのを『了』としたということか


 「そうだ。そうだ」


 −−菅グループの顧問をしているが、政権の足を引っ張ることにならないか


 「まあ、それほど影響力のない男だと思っているが、なるべく、菅さんの邪魔をしないようにしようと心がけている」


 −−先ほど『合意しないものは発表しない』と発言したが、なぜ今回は発表されたのか


 「今までは合意を探って、合意したものを発表してきた。今回はこういう大集会だったから、しかも、僕は日帰りで帰ったから、もう帰りの飛行機も間近で、いちいち点検をする暇がなかったということだ。その一言に尽きる」


 −−「国益をかいくぐって韓国との対話を図りたい」と発言した。これは場合によっては国益に反することも考えている、ということか


 「それは状況によって違う。国益を意識しながら、僕らは『和解』をいっている。韓国の国民と日本国民、あるいは韓国の政治家と日本の政治家が和解する。この『和解をする』というのはキリスト用語で、単に仲良くするというのではなくて、相手の立場を尊重しながら、相手の言うことも聞きながら自分の主張も言うし、そこで理論としてではなくて、人間として出会う。その出会いを大事にし、そこから出発しないと、日韓問題は解決しないというのが私どもの考えだ。だから、国益をもろに出せば、もう、まったく話し合いはできない。ことごとくぶつかる。それを何とかしなければいけないといって、この同じ信仰を持つクリスチャンたちが出会っている」


 「で、出会っているのはいいんだけど、今回みたいな話になると、僕はため息をつくわけだ。『これからも大変だなあ』と。だけど、めげずに対話を続けていく。お互いの言い分を十分、聞いていく。そこからしか、日韓の新時代は始まらないと思っている。日本も韓国ももっと『和解』というキーワードで寛容な態度で接してもらわないと、ことごとく問題は硬直化してしまう」


 −−今回はいわば『だまし討ち』にあったようなものだが、『同じ信仰を持つ者』として許すのか


 「だまし討ちなんて考えていない。ある種、『韓流』なんだ。思いこんだらどんどん先に進む、というのが(韓国の)皆さんだ。後でこんな問題になって、韓国とも電話で話しているが、『それは悪かったね』というようなことがやっと分かるということであり、私はこれで何か、交流が途絶えるとかは一切、考えていない。今後も、生きた草の根の交流を私はやらせていただきたい。国会議員ということもあるが、牧師でもあるし、クリスチャンでもある。韓国の『痛み』をよく知った者の一人として、今後も対話を続けていきたい。それが日本の国の何か、日韓関係の一助になればということを願っている」